煩悩はほどほどに、セラピスト特有の“治したい病”を克服しよう

私の師匠の一人である脳機能学博士から「人を治したいと思うことは煩悩である」と言われたことがあります。

聞いた時はかなり衝撃的でした。

聞いたばかりの頃は頭では理解してるつもりでも、100%完全にわかったわけではありませんでしたので、「そのうち理解できるようになれる」と思って受け入れました。

その師匠は「お釈迦様は煩悩を消せとは決して言っていない」と言います。そうではなくて「煩悩はほどほどにしてねっ」と言っているのだと。

煩悩が無くなったら、子孫繁栄もしないし変容もおこらないかもしれません。自分の中の煩悩を「ある」と認めると、それを受け入れることになり、自身でコントロールが可能になるというわけです。

先日、犬の散歩をしていたらいつも会う犬友にまた会いました。「知り合いに愛犬の面倒を見て欲しいと頼まれたので、そのワンちゃんをお迎えにゆく」とのことで、一緒に歩きました。

その方の話によると、面倒を頼まれたワンちゃんの飼い主さんが末期がんで、お医者様が手の施しようもなく、放射線治療もできないくらいに広がってしまっているのだとか。

ホスピスに入院が決まってるのだけれど、ベッドが空いていないので通院しているから犬の面倒を見る事になったようです。

その方は、芸術的な事を教えていらっしゃる方で弟子や生徒も大勢抱えている方で、そんな状態なのに昨日も東京で講座を開いていたそうです。「まだまだやりたい事がいっぱいあるのよ」と言っていた、と犬友は話してくれました。

それを聞いて「なんとかしたい!」「治る方法がある!」「絶対に治したい!」と強い欲求が出てきました。

私は職業柄、周囲で実際に末期がんを完治させた方や治療に携わった方を知っているし、そのホスピス待ちの方にどう伝えようか?と、犬友と一緒に知恵をしぼってあれこれ方法を考えました。

「まず宿便を出し切って、解毒を行い、ボーンキャビティーを取り除いて、リンパ腺と肝臓の機能を上げて、免疫力を高めて、それからそれから……」

頭の中で、治すためのシュミレーションが瞬時にあれこれ浮かんできました。「それじゃ、これがダメならこれでいこう!」と、同じ気持ちの犬友とも話がまとまったので、電話番号交換しあい帰宅することに。

一人になって(犬は連れていますが)歩いていると、あることに気づきました。「あ!今の私は煩悩の固まりになっている!」

私は自分の煩悩が大きく頭をもたげていることを感じました。本当の意味で師匠の言っていたことを実感した瞬間です。

人をヘルプしようとする行為や心がいけないのではありません。「治したい」という独りよがりの欲求に基づいた思考や行動が不自然でどこか間違っているのです。

普段ならクライアント様や友人や家族に対して、たとえ「そっちは間違った道だ」と思ったとしても、本人の気持ちや希望に沿ってゆくやりかたをとっています。

でもとかくその人が年齢がいってたり生死に関わることだと、焦りが出てしまうことがあります。

生死に関わる病気の人や、人生が最悪の状態にある人であっても、「いかなる時でもまずは相手を尊重することが大切だ」といつも自分に言い聞かせるようにしています。

人それぞれのチャレンジを見て、それを気の毒がったり、かわいそうだなどと思うことはとても失礼なことです。

そういう考えを持っていても、気持ちが(きっと煩悩のせいで)先走ってしまうことがあるのでしょう。

「治したい病」「癒したい病」が、煩悩と化する前に、『謙虚さ』と『感謝の気持ち』でバランスをとってゆきたいです。セラピスト特有の“治したい病”を克服した先に、成長した自分が待っている!きっと!

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