大道ブログ

気持ちいい心でいたい私のWell-Being日誌

みんなの共通の夢「もっとシンプルに生きたい」に一歩近くためのヒント

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頭が混沌としてくると「あぁ、もっとシンプルになりたい」と心が叫ぶことがあります。

これはもしかしたら現代社会が解決しなくてはならない課題の1つでは!?と思えてくる。

もしあなたも、もっとシンプルになりたい(したい)という思いに駆られているなら、読み進めてみてください。

 

みんなの共通の夢「もっとシンプルに生きたい」


最近つくづく想うことがあります。

 


人間って、この世に”シンプル”に生まれてきて、どんどん“複雑化”していく生き物なんだな~、と。

 


シンプルになりさえすれば..」と、多くの大人達が願っています。

シンプルになりさえすれば、もっと能力が発揮できるのに!もっと家族に愛情を示せるのに!もっと出会いがあるはずなのに!もっと集中できるのに!と。

もしかしたら、アルプス山脈の人々とかアマゾン流域に住んでる方は、そんなふうに考えたことなど無いかもしれない。

けれども、少なくとも先進国の人々、特に日本やアメリカにおいて、ほとんどの人達の願い事は「シンプルになりたい」ではないかしら?

私の周りにいる人たちも、意識的にもしくは潜在的にそう願ってやまない状況です。

見渡せば子供達の生活もとても複雑化しており、おそらくシンプルになれるもんならなりたいのではないか?と思えてならないのです。

総務省2010年の公開統計データによると、日本人 1人の選択可能情報量は、ここ10年で約500倍以上に増えているそう。

この「シンプルになりたい」という願い事を叶えるのは、現在社会ではとてもたいへんなこと。

殆どの人にとっては至難の業!

もっとシンプルに生きたい人の現状は


人がふと「あぁ、シンプルになりたい」と思うのは、どんなシチュエーションに置かれているときなのでしょうか。


🗣頭の中をシンプル化したい
🗣仕事作業をシンプルにしたい
🗣お家の中をシンプルにしたい
🗣人間関係をシンプルにしたい
🗣シンプルなオシャレをしたい
🗣iPodの中をシンプルにしたい
🗣生活様式をシンプルにしたい
🗣お金の流れをシンプルにしたい
🗣PCのファイルをシンプル化したい
etc…


思い浮かべてみると出てくる出てくる。人の数だけありそうです。

よりシンプルになるために、本を読んで参考にしたり、セミナーで学んだり、実践的指導で導いてもらったり、みんな試行錯誤を重ねています。

しかし現実はこうです。

😎👉それでも、「いつの日か、もっとシンプルになりたい!と夢見ながらも、みな複雑化した日々を生きてゆくのでございます。

😎👉そして、多くの人が深層心理で「シンプルになりたい」と、自分が望んでいることすら、知らないのです。

「なんかわかんないけどなんとかしたい!」という思いがあっても、解決したい問題が言語化できないと、解決への道が見えずに途方にくれてしまう。そんな現状です。

外から見ても内面もシンプルな人に憧れる


私の周りのデキル人たちは、みな揃って「シンプルであること」を、実行している人ばかり。

彼ら彼女らは、外から見えてる部分からして、すでにシンプルなのですよね。


持ち物
言葉選び
予定の決め方
時間の配分
机の上
買った本の扱い方
情報の発信
どの人と繋がるか関係性
ファッション
創っている作品
どこに何を投資するか
やりたい事の優先順位
仕事のやり方


私の周りのデキル人たちは表面的に見えてるところだけでも、とてもシンプルです。

見えてないところや内面のこと、例えば頭の中で思考していることなんかもきっとシンプルに整理するのが得意なんだろうなーと思います。

見習いたいことばかりなんだけど、真似しようとしてもなかなか難しい部分もたくさんあります。

私自身は、お家の中(物)は、かなりシンプル化に成功しています。

日々、「もっとシンプルにできることはないか?」を考え続けていますので、“選択方法”とか、“行動の優先順位” などは、だいぶシンプル化しつつあると自分では思っています。(!?)

それでも、どうしても混沌としている側面もまだまだあります。正直に言うと、いっぱいある、といった方が正しいです。

無駄なものを省いたら日常生活も仕事も何もかもにとってメリットだらけ。それがわかっていても、いつの間にかごちゃごちゃしてしまう。

そんな日々をおくっていたとき、一冊の本に出会いました。そこにあった言葉にロックオンしてしまいましたので紹介しますね。

 

シンプル化に一歩近くためのヒント

 

米国有数の芸術大学RISDの学長であるジョンマエダ氏の著書「シンプリシティーの法則」を手にしたとき、あるインパクトのある記述をひろいました。

 


「シンプリシティーとコンプレクシティー(複雑性)は互いを必要とする」

 


著書の中でマエダ氏は、そう提言していたのです。

アイスが大好きな子供達でも「1日3度の食事にアイスを食べてもいいよ」と言われても、やがて飽きるでしょう。

同様に、シンプリシティだけを望む人はいない。

👉コンプレクシティ(複雑性)というという対象要素がなければ、シンプリシティを認識できないはず。

👉「コントラスト(対象となる違い)を認めれば、私たちが望むことの性質が見極めやすくなる」というのです。

普段から「もっとシンプルになるにはどうしたらいいかな?」と考え続けていたので、これを読んだときに、少し安堵感をおぼえ、どの方向に考え進めていけばいいのか、足がかりが得られたような気持ちになりました。

何かをよりよく認識する方法がわかるのは、他の何かと比較できるとき。

だから、シンプリシティとコンプレクシティは互いを必要とする。

私たちの社会は、というか地球は、非常に複雑化しており、多様性に富んでいます。

これぞコンプレクシティそのものか(!?)

だから、生物や身の回りの「多様性」にいつも“敬意”を払うことで、より「シンプルなありかた」を追求している自分を認めることが(満足できることが)できるのではないか? そんなことを考えていた、日曜の午後。

マエダ氏の提言は、公にコンテンツを発信する際にも、誰かに何かを伝える時にも、常に頭に置いておきたいことの1つになりました。