Essay

悟りへの道「どっちだっていいじゃん」

ある日、女性の公認会計士の方とお話している時に、「癒しとかリラクゼーションとかって、私は嫌いです。なんだか“弱い人”とが”依存してる人”って感じます。」とおっしゃっていました。(ちなみにイヤミではないですよ。仲良くおつきあいさせていただいてる方ですから)

その方のイメージとは反対に、私が遭遇してきた癒しや解放の現場では、皆さんがものすごくがんばって、強くなって、勇気を出して、良い方向に変化させていった情景をたくさん見てきました。

「癒し」が起こるとは、心身に前向きな変化が起こり、今までの自分より広い視野が開け、さらに成長する事。これが私が現時点でかんがえる癒しの定義です。

どちらかというと「大きな変化を起こす(=癒しがおきる)」は、依存している心的状態であったり、弱い人には起こりません。

なので、私にとっては「癒し」は自立した精神と、自分のイヤな部分にも向き合える心の準備ができている、強い人に起こる、という考えです。

だって「自分の中にあるカイコのそのまた奥にある”イヤな部分”を見なくてはならないわけですから、すごく嫌なことです。

たくさんの勇気とやる気が必要です。

勇気が出てこない時期は、「傷ついた出来事」や「過去のトラウマ」を大切に大切に保持して、それを「変わらない自分を維持するため」とか「変わりたくない言い訳の材料」として、利用してしまう事がよくあります。

まるで『負の宝物』みたいですね。

というか、全ての人がなんらかの『負の宝物』を持っているはずです。それを一つずつ手放して、人は変化していったり成長していったりしている訳ですからね。

『負の宝物』とは、言い換えると「思い込み」「ネガティブな幻想」「自分のものでない無理矢理くっつけた信念」とでもいいましょうか。

「自分はもうとっくにそんなの持っていないよ!」と断言する人はもっとも危険な落とし穴の中にいるのかもしれません。

そういうまだ勇気の出ない時期にいる時の「癒し」は、いわば「一時的な気休め」に過ぎません。

多忙を極める仕事中の憩いの一服……といった感じでしょうか。一時的に元気を回復するけど、その良い状態がずっと続くわけではありません。

こういった種類の”気休め的な癒し”が、今の日本では「癒し」の定義として認識されている様ですね。

おそらく会計士の女性がおっしゃっていらしたのは、こちらの意味での癒しのことだったのだと思います。

まぁいずれにしても、どちらが「弱い人」か「強い人」かを議論することなどまったく意味の無いことです。

人がどんな『負の宝物』を持っていようが、それをいつ手放すかは、その人の自由であって、その選択に良い悪いはないはず。

「どっちだっていいじゃん」

という意識状態、これが欲しいですね。

そうすることで、どちらの側にいる時の自分も客観的に止観することができるのですから。
周りの人のこともね。

ある物事を見る時には、かならず表裏コインのように、どちらの側からも見ることができます。

どちらの方向から見るのも、本人の自由。

本人の自我がそういうふうに選択した結果なのですから。

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【大道かほ莉】Kahori Omichi
・自然療法コンサルタント
・ことばアカデミー想咲人

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