ある休日の出来事です。お天気が良かったのでテラスのあるレストランまで犬を連れて歩いていきました。
小川沿いの静かな小道には大きくて古いお屋敷が並んでいて、その合間を昔ながらの風景を壊さないようなシックなデザインの新しい家が点在しています。
観光地であるわが町、普段はすごく静かな小道だけど休日はパラパラと散策をする人が歩いています。
私たちのすぐ後ろを観光客らしき中年のカップルが歩いていました。
車が通らない静かな小道だったので、歩きながら女性がずーっと話しているのが聞こえてきました。
「あの家は上の方が黒くてまるでカビみたい、ドアの位置が不吉、塀がないから悪いことが舞い込む、窓の位置が悪い、etc...」
そこに見えていたのはスタイリッシュで暖かみのある、和とヨーロッパが癒合されたような三角屋根の素敵な新築の家。
その家の評価を早口に(というか悪口を)まくしたてていたのです。
すると、ご主人様かと思われる男性が「人の家を悪く言うのはやめろ!!!」と女性を怒鳴りつけ、怒った様子で一人だけ先に歩いて行ってしまいました。
「上の方が黒くて...」の部分はわざと炭で黒くした木材を外壁に貼り付けた飾り。窓は外国製の大きな木枠の窓。素晴らしい玄関アプローチの見惚れてしまうような家なので、とても驚きました。
呪いは祈りと同じ仕組みで放たれる
アメリカでは、は汚い言葉で罵ることを「curse」と言います。また一般的に ”嫌なこと” という意味合いでも使われます。イギリスでは昔「curse」は呪いという意味で使われていました。
語源に関係なく、「呪いの言葉」と「嫌なことを言う」のは、ほぼ同義語ではないでしょうか。
人や物などに対して言葉を使って何かを言うことは、そう思考していることとイコールになります。
言葉で思考を生み出し、それを世界に解き放しているのです。祈りと同じ仕組みですよね。
呪いの影響があるか無いかは別として、そんなこと言われたい人などいません。聞きたくも無いし、知らないところで言われるのも嫌です。
つい言ってしまう呪いの言葉
ところが、私たちは知らず知らずのうちに呪いの言葉をつい言ってしまうことがあります。性格云々とか、いい人とか悪い人とか関係なく、気づかぬうちにぽろっと口から出てしまうことがある。
上記のカップルじゃないけれど、我が家も建てたばかりの頃に呪いの言葉をいただいたことを思い出しました。
家を訪ねてきて、玄関を入ってくるなり「山肌が見えてるのは風水的に悪い!」と評価した人がいました。「こんな庭、崖崩れしたらどうするの?」と開口一番に言った人も。なにはさておき一番に言い放ったのですからびっくり。普段はそんなことを言ったりするような人達ではなかったからです。
山を背負ってる土地に住むのは私の求めていたことであり、大好きな遊び場である宝の庭。ここをピンポイントで突いてきたので、ある意味すごいなと感心してしまいました。
あまりに驚いたので、この体験を尊敬している先輩に話してみました。すると先輩は、「家を建てたことなんか、人に言っちゃダメなのよ。私なんか親戚にすら知らせてないわよ。」という返答。
希望の学校に合格したり新築の家を建てたり赤ちゃんが生まれたり。本人にとって最高の幸せかどうかに関わらず、「他者が何かを手にしたとき」に心から喜んでくれる人がいてそれと同時に、呪いの言葉を思い浮かべてしまう人も必ず存在します。
悪意がある人もいるかもしれないけれど、たいていの場合はとっさの「反射」でそうなってしまうようです。
もしかしたら「心地よい範囲内(コンフォートゾーン)」から逸脱してしまう出来事を目の前にして、爬虫類脳が思わず反応してしまうのかもしれません。
今までのあなたではなく、よりハッピーなあなたに変化したことで、強制的にコンフォートゾーンから追い出されてしまったような感覚になるのです。
聞きたくないし言いたくもない呪いの言葉
思わず口をついて出てしまう「呪いの言葉」。言った本人も、言われた相手も、嫌なエネルギーで心が占拠されてしまう。
言われないためには、どうすればいいのか!?そういうことを言う人と付き合うのをやめることで解決できるのでしょうか!?
そういう訳にもいきません。人柄に関係なく言ってしまうこともあるし、血縁者だったら付き合いをやめるのは困難です。
呪いの言葉を言われないための真の解決策はなんでしょうか!?
呪いの言葉を言われないための対策
「呪いの言葉を言われてるな〜」と気づくことがあるなら、自らが呪いの言葉を言うのをやめる努力をしていくことが、言われないための真の解決策になります。
「ジブンは言ってません」と即座に頭をよぎったら、危険。きっと言っているはずです。
友達には言ってなかったとしても、お昼のワイドショーを見ながら芸能人に「どーしようもないゲスいヤツ!」とか「こいつキライ!」などと、嫌なことを言ったり呪いの言葉を頭の中で言っていないか?
駅でぶつかってきたのに謝りもしない人に「アホ!デブ!」と頭の中で怒鳴りつけていないか?
口に出して言うことと頭の中で言うことは、まったく同じです。どちらも呪ったり嫌なことを言ったりする行為になります。
もし呪ってる人を目撃したら?
自分がもし呪いの言葉を言われたら、「そうなんだ、ちょっとショックだな」と軽く呟いてみてください。普通の感覚の人ならばすぐに謝って訂正してくれるでしょう。悪気があって言うというより反射的に言ってしまうことの方が多いからです。
もしも謝るどころか「だって本当のことなんだから!」とさらに嫌なことを重ねて言うようなら、それはそれで「そうだね」と答えて会話を終わらせましょう。口論しない方がいいです。より呪いが強化されてしまいますので...
自分にではなく、誰か他の人に対して呪いの言葉を言っているのを目の当たりにしたら、適当に相槌をうったりして、うっかり「同意」してしまわないように注意した方がいいですね。
「流す」と言う意識を持って、ただアハハと笑ったり、目に飛び込んできたほかのことの話題に変えたり、呪いが流れていくように意図してみてください。
夫婦間など、信頼関係がしっかりした間柄だったら、「それって呪いの言葉じゃん」と指摘してもいいですね。そうでないなら、指摘しない方がいいかもしれません。角が立ってとばっちりを受けるかもしれません。
人が寄ってくる人、離れていく人
人は、自分の良いところや才能を見つけてくれて、それを言ってくれる人が好きです。
それは呪いとは真逆。呪いは意識の広がりや成長を妨害するもの。
見つけた才能を教えてもらうのは、より視野を広げ成長することを促してくれるもの。
自分が定期的に殻を破って成長していこうとする人は、他者に対して呪いの言葉を放ったりすることはほとんどありません。自分と同じように相手にも成長して幸せになってほしいからです。
それに対して、「変わりたくない人」というのは、相手が変わることにも敏感で阻止したい気持ちがあります。だから呪いの言葉で防御するのです。
自分と世界を大切に想う
こうして客観的に見つめてみると、相手がより幸せになったり成長したりすることを本心から喜べる人になることが、自分の状態をより良いものにすることへと繋がっているのだということがよくわかります。
自分というものは孤立した存在ではなく、常に世界や人々との関係性でなりたっている。
呪いの言葉を言わないように、気をつけつつ、相手の才能を見つけ伝えていける人になりたいですね。